ニコッとMarriageが年中無休のワケ ちょっと寄り道で
ニコッとMarriageは原則「年中無休」にて運営をしています。
で、「なんで年中無休なの?」と問われればもちろん
「会員さんが おかむに相談したい!と思った時に、私の都合でまた今度ネ」にはしたくないから。
言ってしまえば「これで全部 (*´▽`*)」でありまして、
おこがましいながら「既存会員ファーストとは」を突き詰めれば至極当然の運営方針です。で結論なんですけど、
今日はちょっと違う視点から「年中無休のお話」をさせて頂ければと。
書いてみたらいつもと違う雰囲気のものになりまして、赤字とか太字とかはこっから先はありません。
手抜き?とかそんなんじゃないんだから!( `―´)ノ(笑)
僕はおじいちゃん子でした。
4歳で東京に引っ越すまでの間、いわゆる3世代で暮らしていて、
おじいちゃんと一緒に撮った写真も、今の私の住まいに宝物として飾ってあります。
おじいちゃんはお店をやっていて、そのお店が年中無休でした。
朝お店を開けて夜までずっと、どんな日も毎日、もちろんお正月でも、どんな時もお店を開けていました。
夜遅くまで長居するお客さんもいたようで、
そんな時はお店のソファーで夜を明かし、またそのままお店を開けていました。
おじいちゃん子の僕は起きてる時間のほとんどをお店で過ごしていました。
常連さんも多いお店でみんな優しく、かわいがってくれましたし、
お店が落ち着いている時間を見計らっておじいちゃんと一緒に行くおひるごはんが何よりの楽しみでした。
夜、お店が空いている時はたまに「お風呂やさん」にも連れていってくれました。幸せな時間でした。
おじいちゃんの温かさは覚えています。
おじいちゃんの優しさは覚えています。
僕の中でおじいちゃんは「おじいちゃん」で、ずっと優しく、温かく、そして力強く生き続けています。
でも「何をお話したか」 その記憶はありません。
おじいちゃんは僕が小学1年生の時、病気をしました。
一命はとりとめたものの、後遺症で記憶は無くなり、言葉を話すことができなくなりました。
僕はおじいちゃん子でした。でももう、おじいちゃんとお話することはできませんでした。
病院にお見舞いに行った時、おじいちゃんは僕を見て涙しました。記憶無いんじゃないの。一生忘れられません。
おじいちゃんは年中無休でお店を開けていました。
そんなおじいちゃんを見て育ち、そんなおじいちゃんに憧れ、そして尊敬し、何より大好きです。
おじいちゃんと同じ、年中無休にすることはそんなに特別なことではありませんでした。
おじいちゃんが見ていてた景色を見てみたい。
おじいちゃんが感じていた毎日を感じてみたい。
「俺もおじいちゃんになりたい」 そういうことなんだと思います。
おじいちゃんは永い旅に出掛けました。数年前のことです。
お仕事を一生懸命頑張っていました。家族を支える、守る、大切にする、それだけを想う毎日でした。
どこに旅立ち、どこから見守ってくれているか、簡単に想像できます。
僕もいつか 旅立ちます。
その時は、おじいちゃんと一緒のところに行って、お話したい。
僕の話もいっぱいしたい。おじいちゃんのお話もいっぱい聞きたい。
だから今、おじいちゃんの目線を感じておきたい、生き様を体験しておきたい、
そんな想いから、おじいちゃんの真似っこ「年中無休」で、日々を充実に過ごしているのです。
おじいちゃんのお店は常連さんにも恵まれて、穏やかで、温かく、いつも和やかなものでした。
ニコッとMarriageもそう。会員さんに恵まれ、みな温かく、優しい。何より自慢の会員さんたち。
私は気持ちを穏やかに、そして健やかにお仕事をさせてもらっています。
人に恵まれる。私が堂々と宣言できる最高の自慢です。
おじいちゃんもきっとそうだったと思う。
でも、おじいちゃんはもっといっぱいすごかった。もっと大きかった。追いかけたい。
おじいちゃん、待ってろよ。自慢話をもっといっぱいに増やして、山ほど持っていくからさ。
だからもうしばらく、優しく見守っててくれると、嬉しいかな。
おじいちゃん。待っててな。